野口 健のぐち けん
登山家
講師候補に入れるプリントする

プロフィール

アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身
了徳寺大学客員教授。亜細亜大学国際関係学部卒業

元外交官の野口雅昭とエジプト人の母との間に次男として生まれ幼少期を海外で過ごす。カイロ日本人学校の小学部から、イギリスの立教英国学院小学部に6年時に転校。同学院の高等学校在学中、本人の言葉によれば“落ちこぼれ”の不良生徒であり、学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受ける。停学中の一人旅で植村直己の著書と出会い登山を始める。卒業後、亜細亜大学へ一芸入試で合格する。

経歴

亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25歳の時に世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)にネパール側から登頂し3度目の挑戦で登頂。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新。大学には8年間在籍した。

南極最高峰ビンソン・マシフ挑戦を前に、かつて植村直己のドキュメンタリーを多数製作していた大阪の毎日放送の取材が始まり、以後、野口のドキュメンタリー番組が立て続けに放送される。それらの番組において、危険な仕事を強いられるネパールの山岳民族シェルパ族の命が先進国の登山隊によって軽んじられている実態を告発している。

1997年に初めてエベレスト(チベット名チョモランマ)にチベット側から挑戦した際、標高6500m地点で積極的にごみ拾いを行うヨーロッパ登山隊のそばで、日本隊が捨てたごみをテレビスタッフと共に見つけ衝撃を受ける。その映像は「汚された最高峰」として、毎日放送の同行記者榛葉健が「筑紫哲也ニュース23」やJNNなどの報道番組で問題提起を行った。これはチョモランマ(エベレスト)に多くの登山家がごみを放置している実態をテレビで告発した世界初[要出典]の報道となった。ごみ回収の活動について、日本隊の投棄していたごみが一番多かったという発言をしている。

野口はこの経験を皮切りに環境問題への意識を強く持つようになり、その後もエベレスト、マナスル、富士山などの清掃登山を精力的に行うようになった。また同時期に、シェルパの遺族を救うシェルパ基金を設立。現在は、日本の国立公園や各地の山、講演会、自然教室などで「富士山から日本を変える」をスローガンに、環境問題の普及を提唱している。また、野口の活動を全面支援するNPO富士山クラブ理事。東京都レンジャー、富士山レンジャーの提案者であり、現在は名誉隊長を務める。

実績

アルピニストを自称しているが、ヒマラヤでの登山は全て極地法である。

1990年 8月(16歳) モンブラン登頂(ヨーロッパ大陸)
1990年12月(17歳) キリマンジャロ登頂(アフリカ大陸)
1992年 9月(19歳) コジアスコ登頂(オーストラリア大陸)
1992年12月(19歳) アコンカグア登頂(南米大陸)
1993年 6月(19歳) マッキンリー登頂(北米大陸)
1994年12月(21歳) ヴィンソン・マシフ登頂(南極大陸)
1996年 1月(22歳) エルブルス登頂(ヨーロッパ大陸、ロシア)
1996年10月(23歳) チョ・オユー登頂
1999年 5月(25歳) エベレスト登頂(アジア大陸)ネパール側 - 七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)
2005年 5月(31歳) シシャパンマ登頂
2007年 5月(33歳) エベレスト登頂(アジア大陸)チベット側 - ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目。

主な著書など

講演を依頼する

講師候補に入れるプリントする

講演会INF0ホットライン:0120-702-235(月?金 9:00?18:00)

講師候補

講師検索

ジャンルから探す

目的から探す

五十音から探す

キーワード

講演講師新規登録|講演会インフォ