後藤昌幸(ごとうまさゆき)
滋賀ダイハツグループ オーナー 株式会社ゴトウ経営 代表取締役
講師ジャンル:
環境問題
経営
経済
マネジメント
金融
人材育成
出身地:大阪府
プロフィール
二位はビリと同じだ,負けなのである”、“赤字は
悪や”というのが後藤を貫く信念である。いつも何らかのTOPに挑み続ける。TOPをとったら二度と離さない。その強い個性が社員をめざめさせ、燃える情熱が会社の破綻を幾度も救った。
その経営の思想は戦略会計(西順一郎氏発想)によって裏打ちされた「戦略経営」であり、利益からスタートさせる発想で経営に赤字を許さない形が出来上がる。そのためには「分社経営」が必須のものとなり、自由で愛情のある自主独立実力主義の組織を作った。更にそれを全社員に理解させるためのたゆまない教育が実施された。MG(マネージメントゲーム)のインストラクターになったり、ポケットコンピュター、マイツールで「全社員経営」を推進した。
結果がでなければ、元も子もないとの厳しい考え方で進み続け、大きなビジョンを現実のものとして、実績を実力とした。 昭和57年、メーカー100%出資の直営会社、兵庫ダイハツ社長に抜擢されたのは、余人ではでき得ないことを後藤ならやるとメーカー社長の判断と決断であった。地元でありながら、低シェアー赤字基調の会社えを即急に立てなおさなければならない。後藤は滋賀ダイハツの16年の社長の地位を捨て、一人で赴任、5年目にはシェアー10%、利益5億円の会社に変身させた。
悪や”というのが後藤を貫く信念である。いつも何らかのTOPに挑み続ける。TOPをとったら二度と離さない。その強い個性が社員をめざめさせ、燃える情熱が会社の破綻を幾度も救った。
その経営の思想は戦略会計(西順一郎氏発想)によって裏打ちされた「戦略経営」であり、利益からスタートさせる発想で経営に赤字を許さない形が出来上がる。そのためには「分社経営」が必須のものとなり、自由で愛情のある自主独立実力主義の組織を作った。更にそれを全社員に理解させるためのたゆまない教育が実施された。MG(マネージメントゲーム)のインストラクターになったり、ポケットコンピュター、マイツールで「全社員経営」を推進した。
結果がでなければ、元も子もないとの厳しい考え方で進み続け、大きなビジョンを現実のものとして、実績を実力とした。 昭和57年、メーカー100%出資の直営会社、兵庫ダイハツ社長に抜擢されたのは、余人ではでき得ないことを後藤ならやるとメーカー社長の判断と決断であった。地元でありながら、低シェアー赤字基調の会社えを即急に立てなおさなければならない。後藤は滋賀ダイハツの16年の社長の地位を捨て、一人で赴任、5年目にはシェアー10%、利益5億円の会社に変身させた。
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■職歴・経歴
1933年 大阪府出身
1958年 関西大学法学部卒業 商社・生保・鉄鋼メーカーで勤務。
1962年 滋賀ダイハツ販売(株)入社
1966年 同社社長就任
1982年 兵庫ダイハツ販売(株)社長就任
1987年 滋賀ダイハツ販売(株)会長就任
1988年 株式会社ゴトウ経営 設立 代表取締役就任
1997年 同社会長 退任 滋賀ダイハツグループ オーナー(社主)就任
1958年 関西大学法学部卒業 商社・生保・鉄鋼メーカーで勤務。
1962年 滋賀ダイハツ販売(株)入社
1966年 同社社長就任
1982年 兵庫ダイハツ販売(株)社長就任
1987年 滋賀ダイハツ販売(株)会長就任
1988年 株式会社ゴトウ経営 設立 代表取締役就任
1997年 同社会長 退任 滋賀ダイハツグループ オーナー(社主)就任
主な講演テーマ
会社は必ず倒産する 会社を潰す10の法則~儲かる会社に革新するには
~私はこうして赤字会社を再建した~
「2位から下はすべて負け」の全社員経営
「2位から下はすべて負け」の全社員経営
著書
『倒産したくないならこれを読め』(日経BP企画)
『経営いろはがるた』(致知出版社)
『やりなさい!その責任は俺が取る』(日経BP出版センター)
『兵庫ダイハツ(販) 「赤字は悪や!」の経営革命』(日新報道)
『大企業病につける薬それは分社経営だ!』(産能大学出版部) 他
『経営いろはがるた』(致知出版社)
『やりなさい!その責任は俺が取る』(日経BP出版センター)
『兵庫ダイハツ(販) 「赤字は悪や!」の経営革命』(日新報道)
『大企業病につける薬それは分社経営だ!』(産能大学出版部) 他
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